【私が通訳になるまで7】高校留学と英語の授業2

 

 こんにちは、英語同時通訳者オンライン英語・通訳講師の山下えりかです。 

 

 前回に引き続き、高校留学中の英語の授業についてです。

 

 絶対的な英語力の不足から、どんなに頑張ってもF(落第)が続いていた英語の授業。それまで勉強と言えば、やればやっただけの結果を残せていました。悪い結果もありましたが、それは単に勉強を怠けた故の結果。全力で頑張ってもどうにもならない経験は、これが初めてのことでした。

 

山下えりか 通訳になる ブログ 07

 

 頑張って頑張って今回こそはと思っていたのに、それでもまたFだった何度目かの仮成績表を受け取った日のこと。次の授業の家庭科の教室に移動して、授業開始を待っていた時でした。あまりの悔しさにぐっと唇を噛んでじっとしていたら、アメリカ人のクラスメイトが心配して声をかけてくれました。

 

 「どうしたの?何かあった?」

 

 いつもならおしゃべりに加わるのに、唇を噛んで黙っていたのは口を開けば涙がこぼれそうだったから。でも彼女にそう声をかけられて、声を絞り出しました。

 

 「もう、無理...」

 

 その瞬間、こらえ切れずに大号泣。突然の出来事に驚いたクラスメイト。

 

 「え?どうしたの?」

 

 と肩に手をそえてくれた彼女に、打ち明けました。

 

 「英語の授業、頑張ってるのにずっとFなの。」

 「英語ってどのクラス?」

 「English3」

 

 すると彼女は、「そんなの私にだって難しいのに!他のクラスにできないの?」と。

 

 そうしている間に先生が入ってきて、彼女が事情を説明してくれました。先生は私が落ち着くのを待って、授業時間を使って私をカウンセラーに会いに行かせてくれました。授業関連全般の相談はカウンセラーの担当だからです。

 

 カウンセラーのオフィスへ行き、そこで溜まっていたものを吐き出しました。毎日本当に頑張ってるけれど、英語の授業にどうしてもついて行けない。どんなに頑張ってもFしか取れない。こんな難しいクラスは私には無理。ESL(外国人生徒向け英語授業)を受けるわけにはいきませんか、と。ESLに関しては無理なのは分かっていましたが、言わずにいられなかったのです。

 

 カウンセラーは一通り私の話を聞くと、英語の先生に連絡を取ってくれました。そして改めて私が留学生で英語がまだ不十分であることを説明した上で、必要に応じて補習を受けさせて欲しい、サポートをしてあげて欲しいと伝えてくれました。

 

 その後も英語の先生は相変わらず厳しかったものの、テストの時に辞書の使用を許可してくれたり、読み物教材の補助教材を教えてくれたりと、できる限りのサポートをしてくれるようになりました。

 

 成績はと言うと、1学期の最終成績で初めてDを取りました。成績表を握りしめて思わず小さくガッツポーズをしました(笑)帰宅してホストマザーに報告すると、ぎゅっとハグをして一緒に喜んでくれました。2学期にはいつもギリギリのDだったもののFを取ることはなくなり、最後にCになった時には嬉しくて涙が出ました。

 

 1年間の高校留学生活の中で、本気で諦めかけて心の底から弱音を吐いたのは、この日が最初で最後でした。学校で泣いたのもこの時だけです。この時は本当に苦しかった。今でも思い出すと苦しくなります。

 

 この経験はそれから私の「苦しさ」の基準になりました。

 

 ここを超えない限り、私は大丈夫だと。その後通訳学校での経験を含め大変なことは数多くありましたが、今に至るまでこの時を超える辛さは経験していません。内容ではこれ以上のこともいくつかありましたが、これほどまでに自分の力の及ばない無力感を経験することはありませんでした。この経験をしていて本当に良かったと、何かある度に思っています。

 

 余談ですがこの話を改めて振り返って興味深いのは、この時でさえ「日本に帰りたい」と思わなかったことです。むしろFを取り続けたら強制帰国になるのではないかと心配していました。こんな目に遭ってなお日本に帰りたくなかった理由は、日本で通っていた高校にありました。私の通った高校は、進学校でとにかく勉強第一の校風でした。私はと言えば高校受験で燃え尽き、入学後勉強で遅れを取ってしまっていたため、あまり居心地が良いとは言えませんでした。その中で唯一嫌いにならずにいた英語に望みを託しての留学でしたから、それを途中で投げ出したり挫折して帰国したりしたら、居心地が悪いだけではすまないと感じていました。他の勉強が苦手でも自分には英語があると、この留学をやりきって自分の柱にしたかったのです。

 

 それにしてもこの頃の私、バカがつくほど真面目です(笑)私の場合は学校の方針で帰国後は2年生の再履修が決まっていたので、正直なところ留学中の成績はどんな状態でも問題にはならなかったのです。もっと肩の力を抜いて、Fでも何てことは無いさと過ごすことだってできたはず。でもそうできなかったのは、それだけ当時の私にとってこの留学が真剣勝負だったからでした。

 

 「留学はきっと大変なことばかりだと思う。だからより厳しい環境に身を置いていた方が、留学した時に役立つんじゃないか。」

 

 中学時代の担任の先生のこの言葉の通りでした。この苦難を乗り越えられたのは紛れもなく、日本で厳しい環境を経験していたからでした。そしてこれを乗り越えたからこそ、その後沢山のことを乗り越えることができました。更には留学中の宿題が苦にならなかったのもまた、日本の高校で大量の課題に追われる日々を過ごしていたからだったのでしょう(笑)

 

 あの時頑張った16歳の自分を今、誇りに思います。そして私を支えてくれたホストファミリーや友人たち、こんな話や様々な泣き言を電話越しで聞かされながらも娘を信じ応援し続けてくれた両親に、心から感謝を。

 

 高校留学ネタ、もう少しだけ続きます。

 

 

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