東日本大震災から10年 - あの日の私の記録

東日本大震災 10年 北海道 新千歳空港 東京 帰宅困難 判断 飛行機 欠航 通訳 山下えりか

 

 こんにちは、英語同時通訳者オンライン英語・通訳講師の山下えりかです。

 

 明日で東日本大震災から10年です。東北にいたわけではないので私自身は大きな被害は受けませんでしたが、それでも普段とは全く異なる経験をしたことは未だ鮮明に記憶に残っています。今回は備忘録の意味も含め、10年前のあの日とその後数日間のことについてお話しします。

 

 

 

✔ 地震発生時は離陸直前の飛行機の中だった


 地震が起きたあの瞬間、私は夫(当時は入籍前)と新千歳空港にいました。数日前にサイマル・アカデミーの卒業が決まり、そのお祝いを兼ねた札幌旅行の帰りで(不合格なら残念旅行だっただけですが)、私たちの乗った飛行機は滑走路で離陸準備に入っていました。

 

 飛行機が動き出そうとしていたその時、機体が左右に大きく揺れました。大きな船が揺れるような、ゆったりとした不気味な大きな揺れでした。最初は機体トラブルかと思いました。一体何が起きたのかと、この飛行機は飛んで大丈夫なのかと、夫と顔を見合わせました。

 

 少しして「東北で震度7の地震が発生しました」と機長のアナウンスがありました。「え?震度7?そんな大きな地震聞いたことない...マグニチュードの間違いじゃないのかな?」が私がこれを聞いて夫に言った第一声でした。安全確認のためすぐに新千歳空港の滑走路は閉鎖され、飛行機はゲートに引き返し、ほどなくして欠航が決まりました。

 

 

✔ 空港の混乱とその場の判断


 その日は東京に戻れないことが確定したので、飛行機の振替手続きとその日の宿を確保しなければなりません。空港のテレビでは津波の第一報が流れていました。衝撃を受けましたし恐怖で体が震えましたが、まずは自分たちのことを何とかしなければと携帯電話(ガラケー)を開きました。不幸中の幸いだったのは私たちの搭乗便が一番最初に欠航となったため、手続き開始が早かったことです。それでも受付カウンターには既に長い列ができていました。

 

 列に並びながら携帯電話で翌日の空席状況を調べました。私たちが利用したスカイマークは便数が少なくいつも満席に近い状態だったため、翌日も翌々日もほぼ空きがありませんでした。並んでいる人の数を考えると振替は期待できません。

 

 そこですぐに次のプランに切り替えました。並んでいる間にANAやJALなど便数の多い大手のサイトを調べ、翌日の便を仮予約。翌日帰宅できることを確認し、続けてその日の宿を予約。カウンターでは払い戻し手続きのみをすることにしました。私たちが手続きを終えた時には手続き待ちの列は私たちが並んだ時の3~4倍にのびていました。

 

 その後素早く電車に乗り、札幌のホテルにチェックインし、翌日の便の支払いをし、本予約を済ませました。なぜ空港では仮予約までにしておいたかと言うと、仮予約は仮とは言え支払い期限までは席を確保できているため、焦ってその場で支払いをしなくても問題が無かったからです。荷物を抱えて行列に並びながら平常心ではない状況でクレジットカードを出して携帯画面で支払いというのは落ち着かないですし何かと不安だったため、支払いは落ち着いた環境を確保できてからと決めました。

 

 この時の私の判断と行動の速さを夫は今でも感嘆を込めて語ります。もちろん搭乗便が最初に欠航になった便だったというのがスムーズな行動の最大の要因ではありましたが、確かに判断の素早さは重要だったと思います。ほんの少しでも判断が遅れればあの後、人でごった返す空港で何時間も待つことになったかもしれませんし、翌日東京に戻ることもできなかったかもしれません。

 

 

✔ 東京の自宅に帰宅


 地震の翌日の夕方、無事羽田空港に到着しました。震災当日は交通網が麻痺し多くの人が空港内で一夜を明かしたということでしたが、その時間にはそれは解消され、電車の込み具合もつものそれとほぼ変わりませんでした。

 

 東京では震度5弱だったと聞いていたので自宅の様子が心配でしたが、パソコンのモニターが倒れデスクと壁の間に引っかかっていた以外は特に何もなくほっとしました。

 

 

✔ 地震後の東京と生活の変化


 地震後の1~2週間、東京はとても混乱していました。中でも特に印象に残っているのが、スーパーでの食料品の買占めです。(ちなみにこの時の経験は昨年のロックダウン騒動で買占めが起きた時にも役立ちました。)

 

 近所のスーパーではまずカップ麺やパスタ、パックご飯のような保存のきく商品がなくなりました。次にお米、その次に強力粉とドライイーストが棚から姿を消しました。我が家は元々食料品の備蓄は多めに確保していたのでここでもそれほど大きな影響は受けませんでしたが、この経験はその後の私たちの生活を少しずつ変えました。

 

 まず水です。当時はペットボトルの水を飲料水に使っていたので入手が困難になり困りました。そのためこれ以降は通常は浄水器を使って水道水を使うようになり、ボトルの水は非常時の備蓄として最低限の数だけ置いておくようになりました。

 

 次に食料品の備蓄。こちらもより余裕を持って備蓄しておくようになりました。また当時かなり入手困難になったガソリンも、こまめに給油するようになりました。

 

 そして一番の変化は、夫と一緒に地震に限らず様々な災害関連の番組を見るようになったことです。科学的な分析やデータ、そして実際に災害時に困ったことや役立ったことの体験談などを聞き、ふたりで「こういう時はどうする」という様々なシミュレーションをするようになりました。この知識が役立つ時が来ないことを祈りますが、やはりいざと言う時の的確な判断のためには必要な備えだと思っています。

 

 

✔ おわりに


 私は被災地にいた人間ではないので、東日本大震災という災害自体を語ることはできません。しかしそれを知り学び、自らの体験と合わせて未来の自分の糧とすることは大切だと考えています。こうして自分の経験を書き記すこともまた情報の整理の一環です。

 

 震災発生から10年という大きな節目を、過去から学び未来を考える機会にしたいと考えています。

  

 

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【About Erika】

職業:英語同時通訳者(個人/フリーランス)

現住所:東京

留学歴:3年(アメリカ)

特技:柔道(初段)、ピアノ(弾き語り)

趣味:料理、お菓子作り、食器屋巡り

楽しみ:正月の箱根駅伝、2か月に1度の大相撲観戦(テレビ)、年に数回の柔道国際・国内大会テレビ観戦、年に数回のブロードウェイミュージカル日本公演、不定期の札幌旅行